3 月 2010
Monthly Archive
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南海りんかんバス株式会社
運行路線 高野山内路線
「天空」のカラーリングを施した路線バスを3月18日(木)から高野山内路線で運行しています。
特徴
天空と同様に赤と緑を基調とし
たカラーリングを施すとともに、
車内に高野山を紹介したポスター 「天空カラー」の南海りんかんバス
を順次増便していくとのことです。
大円院 (大圓院)
弘法大師について、当院に伝わる滝口入道と横笛の悲恋のお話などのお話が聞けますよ
大円院(大圓院)の歴史
・延喜年間(901~923)聖宝理源大師により開創されました。
・もとは多聞院といいました。
・1600年頃、柳川藩立花宗茂公の帰依により宗茂公の法号大円院殿云々を頂いて寺名を「大円院(大圓院)」に改めました。
・過去の住職には小説『滝口入道』で有名な平家の武将斉藤時頼がいます。
・その恋人「横笛」が鶯となってやってきた梅の木や井戸が当庭園にあります。
・昭和42年8月16日一の橋の大円院墓地に、第十四期海軍飛行予備学生、戦没学徒慰霊碑「あゝ同期の桜之塔」が建立され、その菩提所でもあります。
横笛鶯の井戸滝口入道の恋人「横笛」が亡くなった後 鶯になって落ちたとされる井戸
時は平家全盛の時代。時の権力者平清盛は、わが世の春を謳歌していた。ある日清盛は、西八条殿で花見の宴を開催。ここに平重盛(清盛の息子)の部下で滝口武者(滝口の武士)の斉藤時頼もこれに参加していた。このとき宴の余興として、建礼門院(重盛の妹)に仕えていた横笛が舞を披露した。それを見た時頼は横笛の美しさ、舞の見事さに一目惚れしてしまった。
その夜から横笛のことが忘れられない時頼は、恋しい自分の気持ちを横笛に伝えるべく、文を送ることにした。数多の男たちから求愛される横笛であったが、無骨ながら愛情溢れる時頼の文に心奪われ、愛を受け入れることに。
しかし、時頼の父はこの身分違いの恋愛を許さなかった。傷ついた時頼は、横笛には伝えずに出家することを決意。嵯峨の往生院に入り滝口入道と名乗り、横笛への未練を断ち切るために仏道修行に入った。
阿弥陀如来、小説『滝口入道』で有名な滝口入道が恋人「横笛」の死を悼んで彫ったと伝えられる。「鶯の阿弥陀」ともいう。
これを知った横笛は、時頼を探しにあちこちの寺を尋ね歩く。ある日の夕暮れ、嵯峨の地で、時頼の念誦の声を耳にする。時頼に会いたい一心の横笛だが、時頼は「会うは修行の妨げなり」と涙しながら帰した。滝口入道は、横笛にこれからも尋ねてこられては修行の妨げとなると、女人禁制の高野山静浄院へ居を移す。それを知った横笛は、悲しみのあまり病に伏せ亡くなった。横笛の死を聞いた滝口入道は、ますます仏道修行に励み、その後高野聖となった
横笛鶯の梅滝口入道の恋人「横笛」が亡くなった後鶯になって止まりに来たとされる紅梅
白栲ににほふ真土の山川に我が馬なづむ家恋ふらしも
犬養孝(いぬかい たかし、1907年4月1日 - 1998年10月3日)、東京都生まれの万葉学者。大阪大学、甲南女子大学名誉教授、文学博士。文化功労者。高岡市万葉歴史館名誉館長。養子(実の甥)によって墓が守られている。やはり国文学者の犬養廉は弟。
万葉集に登場する万葉故地を全て訪れ、万葉集研究に生涯を捧げ「万葉風土学」を確立した。また、テレビ・ラジオ番組や公演などで、多数の一般の人に万葉集を広めた。万葉集を朗唱する「犬養節」は独自の歌い方で、多くの万葉ファンに親しまれた。
万葉の景観を守るため、万葉故地が乱開発される現状を抗議し、国会議員や松下幸之助などの財界人に万葉故地の重要性を訴えた。その一環として、日本全国の万葉故地に所縁の万葉歌を揮毫した「万葉歌碑」を建立、故地を守る活動に奔走した。万葉ハイキングや月見の会を行い、明日香古都保存に尽力し、明日香村名誉村民となる。
1979年(昭和54年)に昭和天皇が明日香に行幸し、甘樫丘にて明日香の歴史的風土を視察した時の案内役を務める。1951年(昭和26年)に始まった大阪大学万葉旅行は、45年間延べ4万人を越えた。2000年には奈良県明日香村に、犬養を顕彰し関係資料を展示する「犬養万葉記念館」が完成した。
訳 犬養孝 先生
白いこうぞのように、照り輝いている、まつち山の川で
私が乗っている馬が行き悩んでいる。
家人がわたしのことを恋しく思っているのだろう。